81年7月31日〜8月4日 室堂〜剱岳〜五色ヶ原〜針ノ木岳〜扇沢


職場の先輩と後輩の3人で行った。1日目雷鳥沢で野営 2日目剱岳を往復して剱沢で野営
3日目平ノ渡しを渡り、渡し場の待避小屋で寝た 4日目針ノ木峠で野営

記録はないがめったに経験できない事があったのでよく覚えている。剱沢で幕営をしていたら別山乗越から
にわかに黒煙があがった。火事だー!!の声に見上げていると御前小屋があっというまに全焼した。

それから針ノ木峠でテントを張っていると、小屋番が来て急病人を運ぶヘリが来るのでテントを
片付けるように言う。テント場がヘリポートなっているのだ。こんな狭いところへ、ヘリが降りられるのかと
半信半疑だったが東邦航空のヘリが急病人を運んでいった。あざやかなものだった。

スライド、ネガ共に残っていたが一部見あたらなかった。ネガは変質したものもあった。

          1日目
先輩と後輩 2人ともニッカズボン 当時は標準的なスタイル

                           雷鳥沢野営場

        2日目 剱沢へテントを張ってから剱岳を往復した。
八ツ峰の向こうに白馬岳

剱沢

剣山荘

                          カニのタテバイ
                この後のフィルムは見あたらなかった。

             3日目 五色ヶ原までの予定で縦走をする。かなりアップダウンがあったと思う。
焼け落ちた剱御前小屋



毛勝山塊を135ミリで切り取る

雄山 頂上に建つのが雄山神社峰本社 右の建物は社務所 旧国幣小社

五色ヶ原



黒部湖

ザラ峠

                            平の渡し

      五色ヶ原に早く着きすぎたので先に進んだ。しかし平の小屋にテント場は無いので
      平の渡しの最後の便で渡り、適当にテントを張るつもりだったが適当な場所がなく
      結局、船着き場の待避小屋に寝た。

      この後もフィルムが見あたらない。

        4日目 針ノ木谷の道がどうだったか記憶にない。針ノ木峠に早く着いて昼寝をした。
テントをたたみ、みんなで押さえている。夕食の準備中だったので大あわてした。

                   ホバリングで急病人を収容した
        巻き起こす風がすさまじく、ヘリに載せようとしたザックが吹き飛び、
        針ノ木雪渓を転がっていった。

        5日目
スバリ岳

ブロッケン 針ノ木山頂

立山、剱

スバリ岳と赤沢岳

針ノ木雪渓


2006年作成

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