2001年11月20日船上山、甲ヶ山、大休峠、川床


後醍醐天皇が隠岐を脱出して倒幕の兵を挙げた船上山から
勝田ヶ山、甲ヶ山そして矢筈ヶ山を経て大休峠へ。雪道の縦走となった。
船上山西坂登山口へ、裏口になるが帰りを考えて少しでも下山口に近い道をとった。
県道を中山町から赤崎町に入ってすぐ西坂登山口はある。


船上山西坂登山口

少し手前に駐車して植林帯を登って行く。ここからは登山者が少ないのか笹がかぶり気味だ。
ズボンがずぶ濡れになりながら50分で船上神社に到着。


建武の中興はここから始まった

勝田ヶ山に向けて遊歩道のような道を進む。雪をかぶった大山が望める。
登るにつれて雪がでてくる。北斜面だから多いのだろうと思っていたら、稜線にでても予想外に残っている。
踏み跡はあるが今日のものではない。勝田ヶ山の三角点は確認できなかったが、尾根に出たので頂上
についたようだ。甲ヶ山が大きく見える。しかしなにより、ゴジラの背の状態が気になる。



ゴジラの背の基部に取り付く、岩は固いが両側はスパッと切れ落ちている。
足場には雪がつまり、岩の表面は凍っている。最悪だ。岩の上を這いつくばるように進む。
怖い、ほんとうに怖い。必死で甲ヶ山にたどりつく。へとへとになった、ちいさなケルンが頂上の印だ。
雪の上にへたりこむ。先を見れば小矢筈ヶ山の鋭角のピークにもべっとり雪がついている。
そして今日の核心部、小矢筈ヶ山への降り口にもべったり雪がついている。
もう、いやになった。ここから引き返そうと決心する。


ゴジラの背


烏ヶ山


甲ヶ山

ゴジラの背を下りるのは憂うつだがしかたがない。そのとき声が掛かった。見れば小矢筈ヶ山
の頂上からだ。こちらも手を振る、こうなれば勇気百倍、先に進む決心をする。
雪は降り口にあるだけで、岩場の雪は南斜面のため、わずかに残っているだけでまずは一安心。
甲ヶ山から50分、船上山から3時間かかって小矢筈ヶ山に到着。さきほどの登山者は矢筈ヶ山に
達している。再度エールを交わす、2人連れだ。



さらに15分かけて矢筈ヶ山に到着。
「たいへんでしたでしょう。私たちは小矢筈ヶ山まででも大変でした」と埼玉からこられたご夫婦
が声をかけてくださった。川床からの往復だ。実家がこちらなので里帰りのついでに登ったそうだ。



30分ほど歓談して大休峠にむけて下山する。ここからはなにも心配ない。
だんだん雪が少なくなってくるにつれて泥だらけの道になる。
峠から川床に向かうが途中、岩伏別れ20分の指導標から香取に降りる。
10分ほどで林道にでる。林道を降りるにつれて香取開拓地が広がってくる。
日本海が広がり隠岐の島が大きく見える。


今日歩いたルートが見える

香取農協に峠から1時間30分で着く。あとは県道を左手の海、右手の山を楽しみながら歩く。
アップダウンのある道を1時間15分かかって暗くなりかけた5時に車にたどりつく。やれやれ


戻る

inserted by FC2 system