2000年8月22日〜23日 西穂高岳〜奥穂高岳


ついに行って来ました西穂から奥穂しびれました。とんでもないコースでした。
8月22日急行きたぐにで富山着、高山線の始発に乗り猪谷へ、さらに神岡鉄道
に乗り継ぎ飛騨温泉口へ、駅前でバスを待つ。登山者は私1人。ほかに登山者や観光客らしき人は
見当たらない。地元のおばさんと話をする。「ここから山に行く人は最近少ないですよ」
とのこと、関西方面からだと、このルートが一番便利だと思うが、みんな車でいってしまうのだろう。

登山姿の私を見てタクシーがよってくる。林道のゲートまで行くからと誘う。
なにせタクシーに乗りそうな客は私ひとり、運転手も必死だ。
タクシー代を奢る気はないのでことわると、次のタクシーが来てバス代でどうかと誘う。
魅力的なお誘いに乗ろうと思ったところへ新穂高行きのバスが来たのでバスに乗る。
アプローチに便利なバス路線がどんどん廃止になっている。
バスが使える所はやはりバスに乗るべきだと思う。

中尾登山口で降り焼岳登山口へ向かう。
ペンションが立ち並ぶ温泉街を抜けて焼岳登山口へ45分で到着する。
よく整備された道を新中尾峠をめざして行く。ゆるやかな原生林の道で歩きよい。
時々急登があるが気になるほどではない。2時間で旧中尾峠との分岐到着10分で焼岳小屋に到着。
小屋の手前で焼岳が望める、山頂までまだ1時間かかる。


焼岳小屋 焼岳の頂上は雲の下


奥穂と前穂

先が長いのであきらめて西穂小屋に向かう。樹林帯の道だが所々上高地も笠ガ岳も顔を出す。
上高地からの道と合流する、このあたりから木の高い所へ赤い大きな板が取り付けてある。
西穂小屋の冬期標識のようだ、最後の急坂を登ってログハウス風の西穂山荘に到着した。
2時30分焼岳小屋から3時間かかった。
さっそく宿泊手続きをすると明日の行程を聞かれる。奥穂までと答えるとこれを読んでと一枚の紙を渡される。

''これからどんな所へ向かうのか本当に分かっていますか'' '何かあってからでは、遅いのです''

西穂〜奥穂山稜

なるほど大変なコースのようだ。それではと情報収集に取りかかる。
色々な話を総合するとルートは案外はっきりしている、ルートをはずしてはいけない。
間違えたと思ったら絶対にそのまま行ったらだめ、引き返す事。不安は消えないが頑張るしかない。
明日は5時出発に決める。小屋の朝食は5時半からなので明日は朝食抜きとなる。
朝食を摂れない代わりに夕食を腹一杯食べる。

23日5時出発、何組か先発したようだ。外はガスが舞っている。山頂は雲の中だ。
時々ガスが切れて笠ガ岳の稜線が望めるが頂上は見えない。しかしもう少しで
回復しそうだ。独標直下に雷で遭難した高校生の慰霊碑がある。

        
                         5時50分独標 通過

ピラミッドピーク6時15分通過、ここから道がけわしくなる。途中若い夫婦を抜く。


西穂高岳7時着。

頂上に先行の三人パーティーがいる。間ノ岳方向はガスで何も見えない。途中抜いた夫婦が到着する。
彼らはここまでだ。ガスの中から先行パーティーのコールが聞こえる。
そうこうするうち三人パーティーが出発する、彼らも自信は無さそうだ。

7時15分夫婦の激励に送られて出発する。のっけから急降下、しばらくいくと垂直の鎖場にでる。
三人パーティーが通過に手間取っている。ガスの中から1つ先のピークにもう一組見え隠れする。
先ほどの声のパーティーのようだ。


間ノ岳の手前 p18、19あたりか

鎖場を降りきったところで道をゆずられる。正直なところ後ろを行きたかったが甘えは許されない。
自分の力を信じていくだけだ。 不安定な岩がさらに不安定になった、視界がきかないのではっきり
しないが 間ノ岳の登りにさしかかったようだ。ガラガラの急斜面で必死にペンキ印を探す。
古いもの、比較的新しいものもある。迷わないように最低限ついている。

それでも頂上直下で行き詰まる、頂上から声が聞こえる、声をかけて誘導してもらう。
間ノ岳に到着。8時ちょうどだ。狭い頂上にいたのは4人パーティー、50代とおぼしき
男女だが北鎌の経験のあるエキスパート。ここでガスが晴れていっきに視界が広がる。


西穂の頂上を望む


槍を望む

あっと息を呑む、西穂からのすさまじいコースが一気に見える、西穂は目と鼻の先いくらも進んでいない。
1つ後ろのピークに先ほどの三人がいる、難渋しているようだ。
ザックからカメラをだす、このコースではぶらぶらするものは持てない。
落ち着いてこの先のコースを観察する、正直いってガスで見えないほうがよかった。
西穂で見えていたら行かなかったかもしれない。4人組は落ち着いている。

先に8時20分出発、間ノ岳を慎重にくだる。
だんだん赤茶けた天狗岳の逆層の岩場に近づく、立ち止まってよく観察するが人間が通れる
ような場所ではない。だがここまできたのだ、なせばなると自分に言い聞かす。
間天のコルに8時45分に着く。コルにはビバーク用に2張ほどスペースがある 。


間ノ岳の下り

逆層の岩場を長い50メートルはある鎖につかまって一気に登る。しかしその後も悪い、
手がかりにとぼしい岩をつかんで行く、濡れていたら自信がない。天狗の頭に9時ちょうど着いた。


天狗ノ頭


岳沢ヒュッテ


西穂、間ノ岳


奥穂方向

前半戦は終わった、腕がつる、パンパンだ。奥穂からの縦走者と会う。
女性の単独行やはり4時間掛かったそうだ。彼女は岩はしっかりしているが高度感があると教えてくれる。
こちらは岩がグスグスで高度感があると教える。
そうしてみると西穂側が一段難度が上のようだ。9時20分腰を上げる。

天狗のコルまで15分だったがコルへの降り口の鎖場で岩がオーバーハングしており難渋した。
避難小屋は見る影もないがビバークのスペースはある、畳岩をめざして登って行く。
岩はしっかりしているがルンゼ状になっており鎖も上部に申し訳ていどにあるだけだ。
このルートは梯子は皆無。そして鎖も無ければ絶対に危険な所しか付いていない。
コブ尾根の頭に10時40分に着く。


槍が近づいてくる

途中4時に小屋を出た2人組に追いつく、これで西穂からの縦走者の先頭になる。
ここで湯をわかしてお茶を飲む、やっと気分によゆうが出てきた。コーヒーが腹にしみわたる。
あらためて周りを見る最高の景色だ、必死で景色など見るよゆうが無かった。
このコースで歩きながら景色を見るのは厳禁だ。11時10分出発、15分ほどでジャンダルムの
基部に着く、こちらから見るジャンダルムは奥穂側とは全然異なる。

先ほどの2人組と 一緒にルートを探すが、トラバースする個所がわからない。
とりあえずザックを置いてジャンダルムに登る。3163メートルジャンダルムの頂上にはなにもない。
奥穂に大勢の登山者が見える、なにか別の世界のように感じる。


ジャンダルムの頂上


笠ヶ岳


前穂高岳


奥穂高岳 白出のコルに穂高岳山荘

ザックの所までもどると、6時に小屋を出た単独の男性が追いついてきた。
彼の話によると後ろの組はだいぶ遅れているようだ。
ザイルに結ばれたパーティーがジャンダルムの基部をトラバースしてきた。

トラバースにかかる、鎖はごく短く役にたたない。必死で通過する。
剱岳のカニの横ばいに鎖が無いと思えばいい。ロバの耳に向かう、ペンキ印が急に増える。
ロバの耳をまた1組ザイルパーティーが越えてくる、彼らをやり過ごしこちらも取り付く。
さきほどの男性と一緒だ。2人いるとなぜか心強い。


ジャンダルムを見上げる

細いバンドになったところによく見れば鎖もある。 ロバの耳の飛騨側は垂直の壁だ。
ジャンダルムもすごい高度感でせまってくる。鎖の無いところはカニの縦ばいに鎖が無いと思えばよい。
馬ノ背の直下に出る。ジャンダルムを登らず先行した2人組が休んでいる。お先にと声をかけ取り付く。
岩にウマノセと矢印がある、もじどうりのナイフリッジだ。
大山の縦走路とは違い岩がしっかりしているので少しましかもしれない。


奥穂頂上

ここを過ぎれば危険地帯はないが気をゆるめてはいけない。奥穂の頂上から大勢見ている。
12時半奧穂高岳到着、大勢の登山者で賑わっている、場違いに感じる。方向指示盤の所で
話し掛けられる、明日、西穂まで行くそうだ。コースの概要を伝える、不安なようだ。

正直、逆コースの方が難しいと思う。このコースを振り返って見てペンキ印は必要最低限あった。
ルート上で迷う所は無いと思う、小屋は夜明けと同時に出来るだけ早く出た方がよい。
岩が濡れているときはやめたほうがよい。なお山と渓谷2000年8月号と2006年7月号が大変参考になる。
さらにもう1つ腕立て伏せをして腕を鍛えていた方がいい。

奥穂高岳山荘に1時に着く、当然泊まるつもりだったが小屋の付近は宿泊者でごったがえしている。
さらにザイテングラードは大勢の人が続いている。今日は一畳に3人ぐらい詰め込められそうだ。
下山を決意する。新穂高温泉のグリーン穂高に電話して白出沢をくだる。
5時半に到着。12時間半歩いた甲斐があってよい宿でした。
翌日は神岡まで濃飛バスに乗り、地鉄バスに乗り換えて富山に出て帰岡。


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